Note:2016/06/06

翠巒祭から一夜が明けました。
本当に、悔しかったなー。昨晩は気持ちの整理がつかない中、勢いでこのNoteページを更新しました。
一度寝て、今は少しだけ落ち着いたかもしれません。

そう、昨日は悔しさからあまり意識していなかったのですが、今回の翠巒祭をもって、わたしは引退を迎えました。最後が残念な結果での引退、言ってしまえばバッドエンドですが、この2年間、とても多くのものを鉄研からもらいました。入部したこと、続けてきたこと、 翠巒祭で頑張ったこと、負けての引退であること、悔しさはあれど後悔はしていません。本当に入ってよかったです。
やってる最中は長い、でも終わってみるとあっという間、なんて今まで何度も体験してきたことですが、鉄道研究部もそれでした。本当に、終わってみるとあっという間でした。これからは自分がOBだということも、なかなか信じられないです。

そういえば、1年の途中で鉄道研究部をやめた仲の良いWeb課の同僚に「よー!OB!!」などとよくからかいましたっけ。彼にとっては退部も、「新しいことをするため」のもので、そこまでシリアスなものではなかったので。
ただ、今ではわたしが「OB」と呼ばれる立場です。当たり前のことですが、OBにならない現役生っていないんですよね。理解はしているんですけど、認識するのは難しい。自分がOBになって初めて気づくことです。

さて、「名残惜しい」って、誰が作った言葉なんでしょうかね。誰かがどこかを去るとき、やめざるをえないとき、いつでも使うありきたりな言葉ですが、それほど使われるのもそれだけその人の気持ちにピタリとハマっているからなのでしょう。 今、「名残惜しい」という単語が、必要かつ十分に、まさに一対一対応で、わたしの気持ちを表してくれているように感じます。本当に寂しいです。
「いいな」と思っていたもの、「好きだ」と感じていたもの、そんなものを失くすことよりも、「当たり前」だと思っていたものの喪失の方がよっぽど悲しいのかもしれません。 当たり前のものを当たり前だと思うな、なんてよく使う言葉ですが、そんなことは厳しいのです。失いそうだと気付いてから、あるいは実際に失ってから初めて実感できることなのです。
それもそうですよね。「当たり前」というのは文字通り「当たり前」、あって当然、ないときのことなんか考えないという話ですから、当たり前に思うな、なんて無理な話なのです。当たり前なんだから。 「当たり前じゃないと思ってる」なんていう人だって、口ではそう言っているけれど、実際はどうなんでしょうか。心のどこかでは、やっぱり当たり前だと思っているのではないでしょうか。
わたしは、 当たり前のことが当たり前でないと気付けなくてもいいんだと思っています。失う直前にようやく気付くのでいいんだと思っています。ただ、なくなってしまうかもしれない、ということに早く気付けたらいいのではないでしょうか。

私が入部してから、本当に多くのことが変わりました。鉄道研究部を良くできたたこと、悪くしてしまったこと、伝統を更に高めて継承できたこと、断絶させてしまったこと、いろいろあります。 結局それらの総和がプラスなのかマイナスなのかは、何年も経ってから後輩たちが教えてくれるでしょう。 しかしわたしは、なんとか先輩たちからバトンを受け取り、一生懸命走りぬけ、そして転びかけながらも後輩に鉄道研究部というバトンを渡すことができたと思います。後輩のみんな、今度は君たちの番です。長く、バトンリレーを続けていってください。わたしは横から暖かく見守っています。
先輩、後輩、OBのみなさん、顧問の先生、保護者、お客さま、本当に多くの人に支えられ、わたしは鉄道研究部で活動することができました。40年以上続く鉄研ファミリーの一員になれたことも、とてもうれしく思います。ありがとう鉄研、鉄研で過ごした日々は一生の宝です。

これでわたしがこのサイトにNoteを投稿するのも最後になりますが、今までお付き合いくださりありがとうございました。 わたしが入部した時から大きくこのサイトを変えたのも、鉄道研究部公式HPを、もっといえば鉄道研究部をよりよくしたいという思いからでした。改悪となってしまったところもあるでしょうが、お許し下さい。

これからも、高崎高校鉄道研究部をよろしくお願いします。

作成者 Infinity

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TEKKEN

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